これから見る景色

母のこと・認知症になるまで(9)

母が一人で暮らすのはもう無理だと思えたのは、2012年暮れのことでした。
どうしたら母にとって、安心して安全な暮らしを出来るのか。
母の本音は、その時借りていた家で私と一緒にずっと暮らしたかったと思います。
でも私は、自分の家との二重暮らしは精神的にも限界でした。
以前も書いたけど、その家が嫌で嫌でたまらなく、自分の家に帰りたくて仕方なかったのです。
私が望んだのは、母が有料の老人ホームに入居すること。
その頃は、特養と有料の区別もつかなかったのですが、なんとなく安い所はなかなか入れない。有料は高い、というイメージでした。
しかし、生協のチラシに書いてある生協が運営している老人ホームはそんなに高くなく、母の年金に私と弟が5万円ずつでも足したら入れないないことはないと思ったのです。後々、その金額に介護費用がプラスになることがわかって、そんなに安くもなかったのですが。
しかし、まだしっかりした所がある母は、私が説得しても「そんなとこへ入ったら、自由に買い物にも行からへん」と聞く耳持たないし、弟もお金の面で「月5万は無理やわ」と言っていたのです。
弟は、月に一度家に来て、ご飯を食べて帰るだけなので、母がもう限界だということに全く気付いていなかったのです。
入院中に怪しげな行動があったものの、一緒に暮らしていないので、切羽詰まっていなかったのです。

そして、2012年12月23日のこと。
その日の昼間は、友達二人と我が家で忘年会をしていました。
7時頃、友達が帰った後で、そういえば毎日のように母から電話があるのに、その日は一度もなかった、と気付きました。
それから何度電話しても、電話に出ません。
今までも電話に出ない時は、電話の線が抜けてたりしたことも何度かあったけど、その時はなんだか胸騒ぎして、9時頃から母の家に向かいました。

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送別会

8月25日、得意先の会社が送別会をして下さいました。
場所は、心斎橋・日航ホテルの禅園で。
出席者は、得意先の会長、社長(会長の奥様)、OBのSさん、Yさん、子会社の社長になった元同僚のI佐さん、若い頃に辞めて今は親の遺産で悠々自適に暮らしているI川さん、別の得意先の社長、現役担当の男子、そして私の計9名でした。
丁寧に作られた美味しくて綺麗な懐石料理に、懐かしい人達との楽しいお喋り。
至福のひとときでした。
終わって外に出たら店の人が「忘れ物です」と花束を持って出て来られました。
私と奥様は立ち止まって喋っていて、他の方達はもう姿が見えませんでした。
奥様は「会長が用意したのかしら?」と言いながら、ご存知ない様子。
でも、花束なのだから、私にいただいた物だと持って帰りました。
翌朝、奥様から電話があって、花束はOBのYさんとSさんが用意して下さったのでした。
酔っ払って、渡すのをすっかり忘れてしまっていたみたい(笑)
お二人にはすぐにお礼の電話をいれておきました。
ところで、昨日帰ってきてカバンの中を整理していなかった私。
朝になって、持って行ったカメラをお店に忘れてきたことに気付きました。
アチャー!です。
電話して、今日再び行ってきましたが・・・

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母のこと・認知症になるまで(8)

2012年11月、母の二回目の白内障の手術をしました。
10月の一回目の手術の後、足がよたよただったり認知度が進んだように思えたので、不安もあったのですが、本人がしたいと言うし、先延ばしにするよりいいかな、と私も思ったのです。
入院は弟が付き添ってくれたのですが、前の手術の後に病院からもらった目薬を点していないと本人が言っている。それは抗生物質の目薬だから、点さないと失明の恐れがあると看護師さんが言っている、とのメールがきました。
「点してるがな」と一人で突っ込んでましたふらふら
私がいない時のために、「フリーター家を買う」のお父さんみたいにエクセルで表を作ってテーブルに置いてたら、朝昼晩とちゃんと○していました。
しかも目薬がまだあるのに、生協の配達があるとわかっている日にも、矢も楯もたまらず自分でかかりつけの眼科へ行って目薬をもらってきていました。
その頃、生協の荷物が玄関前に置かれていることが何度かありました。
月曜日の午前中に生協の配達がある、ということを忘れてしまうのでしょうね。
眼科は、国道を渡った所にあるのですが、信号機は少し離れた所にあるので、母は車がビュンビュン走る道を横断して行っていたそうです。
何かのことで電話した時、先生から「危ないから気をつけてあげて下さい」と言われました。

二回目の手術の後は、よりいっそう認知症の症状が顕著に現れました。
私は相変わらず自分のマンションに週のうち半分は帰っていましたから、マンションに帰ると必ずといっていいほど母の留守電が入っていて、「何時に帰るんや?」と言っています。
もちろん、朝家を出る時には、今日はマンションに行くから帰らない、と伝えているのですが、覚えていないのです。
母の家に帰る日でも、早くて7時くらいにしか帰れないのに、5時頃に電話があって、「まだか?」とよく言っていました。
それまで夕食は7時にとっていたのに、その頃から私が帰るとすでに食べ終わっていたり、夜中にパンを食べていたり、今までと違う行動をするようになっていました。
一番心配だったのは、家の鍵です。
ある日帰ったら、玄関のドアに鍵がさしたままになっていました。
「お母さん、鍵がついたままになってたよ。絶対忘れたらあかんよ。」と言ったのですが、鍵の取り忘れはこの時だけではなかったようです。
後で本人が言っていましたが、近所の人に教えてもらったこともあったとか・・・
私がいないことも多かったので、大事にいたらなくて、ほんとに良かった。
その頃から、今まで母のことを見て見ぬふりをしてきた私も、とうとう追い詰められてきました。


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石切さん

奈良へ行く用事があったので、ついでに石切へ行ってきました。
神社へ行きたかったのではなくて、コマカフェへ行きたかったのですが、今日は何かの展示をやっていてランチはお休みでした。
仕方がないので、このお店は中央線の新石切駅近くにあるのですが、そこから石切神社の参道を通り、近鉄電車の石切駅まで歩きました。
婦人衣料品や薬局、和菓子店やつくだ煮店、だんごやさんにうどん屋さん、食堂、そして何屋さんなのかよく分からない雑多な物を置いている店、一番多いだろう占い師のお店、そんな中を、上り道だったので汗びっしょりになりながら、歩きました。
上り道って、平坦な道に比べると、倍疲れるのね。
以前に来たのは、2007年くらいだったと思うけど、その時よりは寂れている感じで、石切神社が修理中ということもあるのか、参拝客も少ないように思いました。

その後は近鉄電車で奈良へ出て、友達と食事して帰って来ました。
まだ仕事している友達は「明日、仕事」と落ち込んでましたが、その点だけは優越感(笑)
日曜日の夜も悠然としていられるのが「毎日が日曜日」の誇りです。

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デパートへ

今日は久しぶりに母に会ってきました。
先週も持って行く書類があって行ったのですが、私が風邪を引いていて咳が止まらないので、部屋には行かずに帰ってきたのです。

今日の母は足が痛くなかったのか大人しく、何やら歌詞を読んでいました。
「お母さん、何してるの?」と聞くと、「読めて言わはるから読んでんねん」と言って、一生懸命声を出して歌詞を読んでいます。
こういうところは、ほんとに素直で可愛い母です(笑)
先週、ペースメーカーの検査に施設の人が連れて行って下さったのですが、機械自体は大丈夫だけど、本人の心臓が弱ってきているとのこと。
その為に薬を追加したら利尿作用が強くて、尿失禁するようになったようです。
数がいるので、パジャマとバスタオルを追加で持ってきて欲しいと言われました。
母のホームの帰りに早速スーパーに寄ったのですが、もうほとんど冬物になっていて夏物のパジャマを置いてないのです。
母の寸法はLかLLなので、この寸法の夏物は残っていないのです。
昼から梅田へ出て、阪神百貨店と阪急百貨店へ行きましたが、大きなサイズは高級な物しか置いて無くて、バスタオル2枚だけ買って帰りました。
パジャマは、ウォーキングの時に見つけた遠方の「ライフ」にあったように思うので、来週行ってみようと思います。

今日は特に意識してウォーキングしたわけではないですが、デパートを2軒うろうろしただけで、1万歩越えてました。
恐るべし、ウィンドーショッピング!

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