これから見る景色

ラストスパート

今日、上司に10月15日付で辞めたいと思っていること、有休が41日残っているので実質お盆休みに入る前日の8月8日まで出社したいと伝えました。
12月までのんびりしてたらいいじゃないですか、と言われたけど、そうもいかない。
引継ぎは一通り終わっているので、もう教えることもないし、毎日することがないのに出社するのは苦痛です。
12月いっぱいで辞めると伝えたのに、6月からの引継ぎ、それも2人になんて、暇になるのは最初からわかっていた。
1月が誕生月なので、来年の1月までと思っていたのが、3か月早くなっただけ。
1週間くらい前まで、胸の中にもやもやしたものがありましたが、人に相談したら「後ろを見ないで、前だけ向いて歩いた方がいい。これからの人生の方が大事。41年もお世話になった会社だから、むしろ感謝して、人間関係もきれいに終わるべき」と言われました。
その言葉を聞いて、胸のもやもやがすーっと晴れた感じがしました。
嫌みの一つも言ってやろうと思っていたけど、考えてみれば64歳まで働けたんだから、感謝しなくては。
普通だったら、うちの会社は女性であれば62歳、せいぜい63歳で辞めているもの。

ラストスパート、3週間を切りました。
60代のOL生活もあとわずかです!

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母のこと・認知症になるまで(2)

2008年9月13日に、母との新しい暮らしを始めるべく、実家近くのハイツに引越しました。
奇しくも、その日は25年前に亡くなった父の命日でした。
3DKで68000円の家賃。
大阪府下でも、各停しか止まらない駅なので、家賃も安い方だったと思います。
玄関を入って、横にダイニングキッチン。
テーブルを置いたら狭くなるので、二人用のテーブルと椅子は、隣りの母の部屋に。
ご飯の時にテレビを見たい母なので、食事時に部屋のテレビを見られます。
この家は、リビンクにする部屋がなかったのです。
母の部屋が一番広かったので、そこをリビングにしてもよかったのですが、その部屋がトイレに近かったので、母の部屋にしました。
私の部屋は、台所の右隣の洋室。
私の部屋と母の部屋の両方に行ける場所に畳敷きの和室。
普通は和室に仏壇を置くものですが、大きな和箪笥を置いたらいっぱいいっぱいで、仏壇は私の部屋に。
後から考えると、和室に置けないこともなかったのですが。
母はベッドですが、私は畳の部屋に布団を敷いて寝ていました。
二つの部屋を使いながら、落着く場所がなかったのか、この家に馴染まなくて、最後まで私の居場所がなかったのです。
母の部屋は実家と同じように家具を配置したので、母はたちまちこの家に馴染んで、夜は私がいる安心感からかぐっすり寝ていました。
しかし、私は一か月もしないうちに大変なことになっていたのでした。

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最後の三連休

私にとって会社人生活最後の三連休。
最終日の今日は、午前中母のホームへ。
認知症の母は、私が行くと迎えに来たと思って喜ぶので、反って心苦しくなります。
職員さんの話だと、最近夜中に起きて叫んだりするそう。
また膝が痛いらしく、車椅子からテーブルの椅子に移乗する時も「痛い、痛い」と大声を出します。
認知症の人しかいないホームといっても、一見そんな風に見えない人もいるので、「うるさいわね」と言う人もいます。
可哀相だけど、どうしようもなく、母にはここで出来るだけ長く暮らしてもらうしかないのです。

ホームから近くのバス停まで歩き、バスで天満橋まで出て、京阪シティモールでお買い物。
無印良品で、グレープフルーツの香りのアロマオイルと冷茶用のポット、昼寝用の小さな枕を買いました。
ニトリで食器カゴを探したかったのだけど、工事中で品数が少なくなっていました。
ぶらぶらと歩いていたら、「SeasonDoor」という雑貨屋さんに、ちょうど手頃な大きさのがありました。
2376円と、価格も手頃。
食器乾燥機を置きたいけど、場所がない。
今使っているのはプラスチック製で、ずいぶん汚れていて漂白剤を使っても取れないので、ステンレス製のが欲しかったのです。
デパートやスーパー、あちこち探し歩いたけど、最近のマンションや新築の家では食洗機が当たり前で食器カゴの需要がないのか、あまり売っていないのです。

今週末に友達が遊びに来るので新しくしたかったし、帰ってから古い食器カゴを処分して、ついでに台所の掃除もしました。
こんな時でもないと、なかなか細かいところまで掃除をしないので、いいチャンスです。


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母のこと・認知症になるまで(1)

母のことも少しずつ書いていこうと思います。

私が32歳の時、母が57歳になる2週間前に父が心不全で急死してから、母は24年間一人暮らしを続けていました。
65歳で年金がもらえるようになるまで、父が残してくれたお金や自分が働いて貯めてきたお金でやりくりして暮らしていました。
といっても、お金で苦労したことがない母、毎日散歩をし整骨医でマッサージをしてもらい、近所の友達にドライブに連れて行ってもらったり、杉良太郎のコンサートに行ったり、気楽な一人暮らしを楽しんでいました。
戦前に建てられたであろう木造の古い実家は、お風呂こそあるもののトイレは汲取り式。お風呂もいつの間にかガスの火が点かなくなっても修理することもせず、掃除嫌いな母はお風呂屋さんの方がいいと、毎日近くの銭湯へ通っていました。

そして、月日がたち、80歳を過ぎた母は歩くことがままならないで銭湯へ行くのが大変なことになっていました。
家の近くの銭湯が廃業して、私の足でも歩いて10分~15分くらいかかる所にしかなくなったのです。
その頃、母が住んでいた市では、やっと下水道の工事が出来るようになり、トイレとお風呂のリフォーム(といっても、ほとんど新築です)の見積もりをしてもらったら、下水を引くのとは別に100万以上くらいはするとのこと。
母は80歳を過ぎてたし、あと何年生きるかわからないのに、下水を引く金額を入れたらどれくらいかかるかわからない。
その頃すでに一人暮らしするにもいろんなことで危なくなってきていたので、実家の近くにアパートを借りて、私が自分の家と行ったり来たりして二人で住むことになりました。
母が82歳になる少し前、私が57歳、2008年9月のことでした。

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安全標語

私が勤めていた会社は、鉄鋼二次製品のメーカーでした。
1999年7月19日に倒産。
そう、16年前の今日なんですね。
その後、会社更生法で生き残り、お給料が減ったり、ボーナスが無かったこともあったかな?
いろんなことがあり過ぎて、もう忘れてしまいました。
更生会社を経て新しい会社として再興、そして、2007年に三社合併して、名前が変わり今の会社になりました。
合併してからでも、もう8年もたっています。

親会社の方針で、年に一度、安全標語・ポスターの募集があり、最優秀賞1名10000円、優秀賞5名5000円、佳作10名2000円の賞金が出ます。
ポスターも同じ内容の表彰があり、私は絵が苦手なので、毎年安全標語のみ応募しています。
今年は、せめて優秀作品に選ばれて有終の美を飾りたかったのですが、佳作に入りました。

  あせらずあわてず確実に ルールを守って事故はなし

今までに2作くらい優秀賞や佳作に入っているのですが、整理魔の私、メールも送受信ともすぐに削除するので、残っていませんでした。
部で取りまとめてくれる男子社員のメールから探し出して、2011年に優秀賞をいただいた標語が残っていました。

  あわてるな いざという時落ち着いて 未然につもう危険の芽

この二作、どちらにも「あわてるな」というキーワードになる言葉が入っています。
ほんと、慌てるとろくなことがないふらふら
慌てん坊の自分だからこそ、出てきた言葉なんでしょうね。


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