母のこと・認知症になるまで(2)
2015年 07月 20日
2008年9月13日に、母との新しい暮らしを始めるべく、実家近くのハイツに引越しました。
奇しくも、その日は25年前に亡くなった父の命日でした。
3DKで68000円の家賃。
大阪府下でも、各停しか止まらない駅なので、家賃も安い方だったと思います。
玄関を入って、横にダイニングキッチン。
テーブルを置いたら狭くなるので、二人用のテーブルと椅子は、隣りの母の部屋に。
ご飯の時にテレビを見たい母なので、食事時に部屋のテレビを見られます。
この家は、リビンクにする部屋がなかったのです。
母の部屋が一番広かったので、そこをリビングにしてもよかったのですが、その部屋がトイレに近かったので、母の部屋にしました。
私の部屋は、台所の右隣の洋室。
私の部屋と母の部屋の両方に行ける場所に畳敷きの和室。
普通は和室に仏壇を置くものですが、大きな和箪笥を置いたらいっぱいいっぱいで、仏壇は私の部屋に。
後から考えると、和室に置けないこともなかったのですが。
母はベッドですが、私は畳の部屋に布団を敷いて寝ていました。
二つの部屋を使いながら、落着く場所がなかったのか、この家に馴染まなくて、最後まで私の居場所がなかったのです。
母の部屋は実家と同じように家具を配置したので、母はたちまちこの家に馴染んで、夜は私がいる安心感からかぐっすり寝ていました。
しかし、私は一か月もしないうちに大変なことになっていたのでした。
奇しくも、その日は25年前に亡くなった父の命日でした。
3DKで68000円の家賃。
大阪府下でも、各停しか止まらない駅なので、家賃も安い方だったと思います。
玄関を入って、横にダイニングキッチン。
テーブルを置いたら狭くなるので、二人用のテーブルと椅子は、隣りの母の部屋に。
ご飯の時にテレビを見たい母なので、食事時に部屋のテレビを見られます。
この家は、リビンクにする部屋がなかったのです。
母の部屋が一番広かったので、そこをリビングにしてもよかったのですが、その部屋がトイレに近かったので、母の部屋にしました。
私の部屋は、台所の右隣の洋室。
私の部屋と母の部屋の両方に行ける場所に畳敷きの和室。
普通は和室に仏壇を置くものですが、大きな和箪笥を置いたらいっぱいいっぱいで、仏壇は私の部屋に。
後から考えると、和室に置けないこともなかったのですが。
母はベッドですが、私は畳の部屋に布団を敷いて寝ていました。
二つの部屋を使いながら、落着く場所がなかったのか、この家に馴染まなくて、最後まで私の居場所がなかったのです。
母の部屋は実家と同じように家具を配置したので、母はたちまちこの家に馴染んで、夜は私がいる安心感からかぐっすり寝ていました。
しかし、私は一か月もしないうちに大変なことになっていたのでした。
by s-jw
| 2015-07-20 17:56
| 母が見ていた景色
|
Comments(0)