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母のこと・認知症になるまで(5)

2009年4月、私の更年期障害のホルモン治療は中止になりました。
日にち薬とはよく言ったもので、薄紙を剥ぐように少しずつ少しずつ体調と体重は元に戻りつつありましたが、安定剤だけは手放せなくなりました。

ペースメーカーの手術をした母は見違えるように元気になっていました。
火曜日と土曜日はディサービスへ。
他の日はシルバーカーを押して買い物や病院へ。
ただ、この家を借りることにした最大の決め手であったハイツの裏の「スーパーダイエー」が、残念なことに2009年5月に撤退してしまったのです。
買い物に便利だから、ここにしたのに、元の実家近くにある小さなスーパーまで私の足で10分くらい、母はシルバーカーで20分~30分はかかっていたでしょう。
途中で休憩もしていたようですし。
しかし、もっと遠い所にある行きつけの美容院や、一駅向うの100均のお店にも行っていたようです。
母が元気なことをいいことに、私は週末必ず自分のマンションに帰り、土、日とも泊まって月曜日に、マンションから会社へ出勤して月曜日に母との家に戻っていました。
火曜日は母がディサービスで入浴してくるので、そのうち火曜日もマンションに泊まるようになりました。
あの家で寝るのが、ほんとに苦痛で、3日以上過ごすのは無理だったのです。
母は文句も言わずに、よく頑張っていてくれたと思います。
その頃はまだ料理もしていたし、面倒な時は出来合いのおかずを買ってきてでも、三度三度の食事の仕度をしていました。
洗濯も好きでシーツ等の大きな物は干せないので、私まかせでしたが、他の物は洗って干して取り込んでたたむこともしていました。
嵩になるのにトイレットペーパーはシルバーカーに積んで帰ったり、日用品の買い物もしてくれていました。
ただ、お米や水の重い物は、生協のネットスーパーで買っていました。
月曜日の午前中の配達を受けて、お米や水の重い物を仕分けしたり、冷凍食品はちゃんと冷凍室に入れてくれたり、ほんとにあの頃はしっかりしていた母でした。

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by s-jw | 2015-07-30 21:26 | 母が見ていた景色 | Comments(0)

長年勤めた会社を退職した後の日常を綴っていきます。認知症になった母のことも記録に残します。


by シズコ
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