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母のこと・我が家に来てから(4)

2013年1月に母と住むようになってから、私の生活は一変しました。
朝早くから母が起きるものだから、私も6時過ぎに起きてご飯の仕度とお弁当作り。
母の朝食は長年トースト一枚、コーヒー、フルーツ、ヨーグルトと決まっています。
私はお弁当を持って行くので、ご飯を炊いてお弁当のおかずの残りを食べます。
これも長年のことでした。
ディサービスに鍵を預けているので、台所をきちんと片付けてから出勤します。
7時45分に家を出て、17時45分に仕事が終わり一目散に家に帰ります。
会社から地下鉄の駅に向かう時は、いつも走っていました。
帰りにスーパーに寄り買い物をして、18時45分くらいに家に着きます。
帰ったら、母はいつも「遅かったな」と言っていました。
母にしたら、一人でいるのが心細くて、今か今かと待ちくたびれていたのでしょうね。
半年くらいは、洗濯物を取り込んでたたんでくれたりしていました。
私は帰ってから着替えもそこそこに、前日に作っていたおかずや買ってきた惣菜を母に食べさせてから、翌日のご飯の仕度。
その頃は母も一人でお風呂に入れたので、お風呂を沸かし母を入れてから、9時過ぎから台所の片付けや、翌日ディサービスへ持って行く物の用意と着て行く服の用意。母の薬の管理もしていました。
その後に私もお風呂に入り、11時過ぎには布団に入る、という規則正しい生活が始まったのです。
しかし、そんな生活は1ヶ月も続かなかったと思います。
夜中に母が寝なくなったのです。
9時頃から寝ていた母が、ディサービスでお風呂に入ってきた日は8時頃から寝て、私がいざ寝ようとする11時頃から何度もトイレに起きるのです。
始めはソファーベッドだったので、寝にくいんだろうな~と思っていましたが、母が使っていたベッドが来てからも一緒でした。
そして、そのうち夜中に起きて「高見(母の家があった地域)に帰るわ」と言い出したのです。
「あの家、もう借りてないからないよ」と言っても、「もっかい借りて」とか「おかちゃんの荷物、置いたるやろ」とか言います。
荷物のことを言われたら、母に黙って処分したわけですから、痛い所を突かれて返す言葉もなかったのですが・・・
私の家に来てから、みるみるうちに認知度が下がっていったのがわかりました。
3月末くらいまでは、「留守番しといてな」と言って私が日中家を空けても大丈夫だったのが、4月くらいからはスーバーへの買い物さえ「一緒に行く」と言って聞きませんでした。
土、日の休みは、車椅子を押しての買い物、散歩、医者通い。そして、家の掃除もしないといけません。
私の自由な時間はまったく無くなったのです。
会社を辞めることも考えましたが、何より収入のダウン、そして仕事があることが私の救いにもなっているのだと思いました。
4月に入って、ようやく母はショートスティに行くことになりました。



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by s-jw | 2015-09-15 17:38 | 母が見ていた景色 | Comments(0)

長年勤めた会社を退職した後の日常を綴っていきます。認知症になった母のことも記録に残します。


by シズコ
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